龍田大社万華鏡

 古代の謎を秘めた龍田山・三室山の謎解きにようこそ

竜田神社との関わり

 龍田大社と竜田神社とは先ずは字が違います。斑鳩にある竜田神社は三室にある龍田大社の分社、つまり出張宮さんだったのです。聖徳太子亡き後、一族全員が斑鳩の里で自害して果てます。時の天皇や攻め入った豪族達が一族のあまりにも悲惨な破滅を思い、良心の呵責に苛まれて弔いの鎮魂を捧げる行動を起こします。その一つ、筆頭に進められたのが、亡き聖徳太子が信仰していた龍田大社の御霊を一族の自害した山腹に向けて竜田神社をお祭りしたのだと聞きます。斑鳩の竜田神社の正面奥の古墳が一族のお墓だとされているようです。「 龍 」でなくて何故に「 竜 」なのか、これにも深い訳があります。古来、龍の字は王家・天皇にだけに許されたブランドであり、その他の氏族には滅多に使用が許されない決まりがあった様だ。 流石の聖徳太子ですら「法隆寺」を「法龍寺」には出来なかったらしい、と言われています。竜田神社が龍の字が使えなかった所に龍田大社のプライドの高さを推し量る事ができます。
 竜田神社が出来たのに合わせて、現在の斑鳩の三室山も、平群川であつた川まで竜田川と名付けてしまっております。神社と山と川の三点セットが三郷の立野から斑鳩へと出張してしまったのが史実である。

 分かりやすく考えれば、龍田大社は本社であり、竜田神社は支社であったものが、近年になり支社も独立して独自の道を進んでいると言う事になります。
以前には祭りも連携してお宮入りや神事の行事も行われていたが、今日では全く個別にやられていると聞きます。



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