龍田大社万華鏡

 古代の謎を秘めた龍田山・三室山の謎解きにようこそ

畑千軒との関わり

 畑千軒とは雁多尾畑( かりんどばた )の事であり、柏原市と三郷町の境界線に位置する山々に囲まれた集落である。今でも上区・下区の2人の区長を置いた大きな集落がある。ここに、昔、千軒もの集落があって非常に栄えていたと言うから驚きだ。御座峯も龍田神社本宮跡も亀の瀬辺りも畑千軒の領域に入っていたとしても、千軒もの集落が暮らせたのは、ここに古代の製鉄所があり、大勢の工人が生活していたからに他なりません。今風に言えば製鉄コンビナートがあって従業員が大勢必要であった訳です。立野の古老の話では JRが王寺に駅を造る以前にはあの周辺には14軒しかなくて、大和川の氾濫で水没すると立野の山上あたりからよく救援に出向いたものだそうだ。其の頃でも立野山上には40軒しかなかったと言うのだから古代に千軒とはいかにも信じがたいものもあります。しかし、それ程に栄えた大規模集落であった事は確かな様だ。
鉄は国家なり、とは古代から近年バブル時代までスローガンに掲げられていたものだ。
 今から2000年も前に畑千軒で製鉄が行われていた事は、弥生革命の初期、つまり「鉄」を支配出来た豪族が時代を作っていった事の謎解きで大きな手がかりを与えてくれるものではないかと思う。
 製鉄をするには風が必要です。畑の製鉄工人達は自然の風に大きな関心と信仰を持っていた事でしょう。 風を自然からの贈り物として崇め、風の神様の降臨を願って龍田山の頂に御座峯を鎮魂し、三室山に風の神様を祭る龍田神社まで創建しております。崇神天皇の頃の出来事とされている。龍田大社はこの頃はまだ神社であり、大社と称されるのは官幣大社になってからです。そして、風の神様がご神体と言う訳です。
大社の由緒がきには「天御柱」と「国御柱」の2神がご神体になっている。又、古典芸能の「能」に演ぜられる「逆鉾」も金属であり、畑の製鉄所で作られたものでしょう。逆鉾は国つくりには欠かせない武器に違いないが、神話では天の逆鉾で海を掻き混ぜて倭の国が生まれたとしている。逆鉾は「国御柱」の神の武器であり当然の事ながら龍田大社の神体の一部だと見るべきでしょう。
 余談になりますが法隆寺は誰をご神体として聖徳太子はお祭りしているかお分かりでないのが多数だと思います。法隆寺元管長の話ですと、聖徳太子は龍田大社そのものをご神体としてお祭りしたとの事です。
聖徳太子をお祭りしているものとばかり思い込んでいましたが、お寺を建てる本人が自分を祭る道理はありませんから、龍田神社の信奉者であった太子が龍田神社をご神体に迎え入れた訳も理解できます。
 龍田大社・法隆寺のルーツを遡れば、畑千軒の古代製鉄所に行き着きます。

 想像を逞しくするならば、現在亀の瀬の地滑り工事現場の北方に気象庁のアマダスの鉄塔の立っている山辺り、そこが風の強い製鉄に適した場所のように思えます。製鉄のノロが付近に多数露出している事からも、 もしやと推測したくなります。自然の風も大いに利用しながら、タタラを踏み、赤々と昼夜精錬をしていたとしたら、真っ赤な溶鉱炉の火玉は奈良盆地全域、遠くは飛鳥あたりからも望見出来るものであったかも知れない。山頂の二つの真っ赤な溶鉱炉の炎は、あたかも天に登る「龍」の目に映って見えたのかも知れない。
龍田の龍の語源であるのではなかろうか・・・。



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