龍田大社万華鏡

 古代の謎を秘めた龍田山・三室山の謎解きにようこそ

龍田大社万華鏡

 今から約2000年以上も前、崇神天皇の頃に天災による五穀の凶作が続いた。天皇は「旭の日向かう所、夕日の日隠れる所に神社を創建するよう神のお告げを頂き、龍田山頂上に神々の降臨を願って「御座峯」とした。御座峯は龍田山に現存しております。
御座峯の山裾の三室山中腹に神社を創建して、「天御柱=あまのみはしら」と「国御柱=くにみはしら」を祀ったところ、五穀豊穣となり天下は平和を取り戻した。三室山には神社跡の石碑も現存してあります。
従って、現在の龍田大社は古代創建の頃は立野集落の西に霊験新たに聳える「三室山」にあり、大和朝廷の頃、又万葉歌人が「龍田越え」の古道(現代風には国道1号線)を登り、旅の安全を祈願したようです。
 崇神天皇( 河内豪族と思われる)の頃に龍田神社が出来る背景には、現在の雁多尾畑(かりんどばた)、即ち、 俗に言う「畑千軒」に古代の製鉄所があつた。この存在が龍田大社のルーツを探る大きな手がかりであると同時に、大和朝廷成立に及ぼした影響についても謎解きの入り口ではないだろうか?。と考えられます。
 何時の時代でも武器武装した者が歴史を造ってきております。畑千軒の製鉄所を支配していた豪族がその勢力を広げていったのは理屈に叶っております・製鉄を行うには「風」が重要不可欠の要素です。鞴やタタラの人工の風と共に、自然の「風」が必要であり、龍田神社は「風」を神様としているのです。農耕の為に必要でもありますが、風の神のルーツは畑千軒の製鉄に関わりが深いと考えるのが的を得ております。
 遡って考察すれば、わが国に水田稲作・製鉄の技術を持ち込んだ弥生の使者は「徐福集団」であるとすれば、畑千軒の畑は「秦=はた」ではないか、製鉄所の技術者は徐福集団であつたかも分かりません。
 そもそも、わが国の神社・神道の思想も徐福のもたらした深仙思想に影響を受けている。
雁多尾畑の集落に「金山姫神社」と「金山彦神社」の製鉄の神をまつる社がある。この夫婦神は「いざなぎ・いざなみの尊」の子孫とされており、徐福集団の子孫百工達に相違ない。古事記・日本書紀が出来て、日本の古代史から「徐福」は完全に隠蔽され、故意に抹殺されて神話が作られています。
 徐福をモデルにして神話が出来上がっていると見るのが正しいのではないか。然るに、龍田大社や畑千軒の古代製鉄所を研究するのは関心の大きなテーマーであり、且つ一大ロマンでもある。
 又、龍田・三室山・立野周辺は万葉歌人の大伴家持・山上憶良・坂上郎女等の所縁の地であるのと、平家 の元祖「高望王」の故郷であつたばかりに、源平合戦の後、神社諸共に畑千軒・立野周辺は壊滅の憂き目にあっているのでしょう。源氏の平家狩りも収まり現在の龍田大社も出来ているとの事です。
 それかあらぬか定かではありませんが、熊野3山や古い社殿には「国宝級」のお宝が豊富にあるのに、龍田大社には目ぼしいものがありません。それも、平家狩りのおかげなのだろうか
今年も10月15,16日の二日間、大祭があり、ムラムラからダンジリが出て祭りを盛り上げます。



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