龍田大社万華鏡

 古代の謎を秘めた龍田山・三室山の謎解きにようこそ

龍王社(役の行者・葛城28宿満願の社)

  龍田山の南麓と明神岳の北の谷間を奈良盆地100を越す河川の雨水全てを集めて、大阪湾へと流れ下る河川を大和川と呼ぶ。この辺りは 大阪府と奈良県の府県境でもある。古代より「地滑り」を起こして恐れていたこの河川の中に「亀石」と称されている巨石があり、この亀が動くと「地滑り」が起こるのだ、と古代から言い伝えられています。再三の地滑りで河川が塞がれてしまうと、奈良盆地は水浸し、湖沼 となってしまうのです。大和朝廷成立以前には、この為に沼地が多くて、人々は亀の瀬の河川工事に並々ならぬ努力を払って来たものらしい。現在でも「国土交通省」は巨費(800億円)を投じて地滑り工事は続けられている。近代では昭和7年、と42年大きな地滑りがおきて鉄道のトンネルが塞がり、現在の鉄道に切りかわっているとの事。

亀石のある少し東側には10米程もある「滝」があり、「紫雲岩」と呼ばれる岩場に囲まれた滝壺は人も寄り付けぬ霊気に満ちた処であったと峠集落の古老は語っている。徳川幕府から明治にかけて、この滝は少しずつ掘削されていき現在ではその痕跡もありません。

古代の人々は大阪堂島濱から物産を「剣先舟」に積んで、亀の瀬まで運び、そこで荷揚げした物は峠の龍田古道南道を通り、奈良県「藤井濱」まで水路を使って運送されていたと文献にもあります。シルクロードもこの水路を通り大和へもたらされたのでしょう。明治になり、鉄道が出来るまでは「藤井濱」や現在の三郷町「岩瀬の杜」周辺に「梁舟」が70隻もあったものだ、と現在85〜90歳代になる土地の古老は語ってくれます。さて前置きが長くなりましたが、亀の瀬の地暦634年葛城の山裾に生まれた役行者は葛城山に登り修業を初め、後に「葛城28宿」の山岳修業を始めた山伏の元祖でありますが、現在の大峰山で有名な山岳修業のルーツは「葛城28宿」の山々で始まったものとされています。

友が島の1番から始まり、犬鳴山・金剛山・葛城山・二上山・明神岳と峰峰の項に「法華経28番」と「般若心経」の納経をして回り修業しております。

最終満願の地が「亀の瀬」の「亀石」であったようだとの説もあります。ところが川の中に、亀石に納経する訳にもいかず、亀石の東側の森の中にある「龍王社」に納経した経塚があります。現在では地滑り工事で峠集落の人家も殆ど移転させられて留所山の頂上へ登る事が出来なかったのか、許されない事情があったのかは定かでない。しかし、いずれにしても人々に忘れられている「龍王社」の謎は深まるばかりです。



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